舞台
人は、社会を生きて行くにあたって、なにかしらの自分を演じている。
家族であれば父である自分、夫である自分。同じように母であり、妻である自分。
会社であれば、上司である自分、部下である自分、お得意先の前でプレゼンする自分。数え上げればきりがない。
まるで、何役かの役柄を演じて分けている俳優のようだ。
主人公は自意識過剰な青年、葉太。父の遺産を使って、ニューヨークきた。彼は常に人の目を気にしている。絶対このように見られたくない、と思っている。
それは亡くなった父の影響が強い。作家であった父は「こうありたい自分」を演じ続けていた。葉太はそんな父を白眼視していた。
過剰なまでに人の視線を意識したニューヨークの旅生活は、貴重品を全て盗まれてしまうハプニングから始る。それでもプライドの高い葉太は領事館へ駆け込むことを潔しとしない。
生きている人間の視線、死んだ者たちの視線の中で、葉太はホームレスに近い生活に自分を追い込む。そこでつかんだ感覚は、いままでの葉太とは違う自分自信だった。
人間は生きている限り、「他人の視線」にハンドルを握られてしまい、真っ直ぐに走ることができない自動車のよう。なにを失うことが怖くて、僕たちは自分を演じ続けるのだろうか。
自分を演じ続けた葉太は、結局、孤独だった。
しかし、ニューヨークの極限生活が、確実に葉太になにかを気付かせた。
その気づきは、読んでいる人にも、違った形で同じように訪れる。
そんな物語だった。